AIに呑まれかけて、でも生きる覚悟が芽生えた話

これは2025年4月の、私の記録です。


「AIの進化、正直こわいって思ったことありませんか?」

もしくは──
「自分の仕事、このままAIに取られたらどうなるんだろう?」
そんな不安、心のどこかに抱えていませんか?

私は、つい最近まで、まさに“それ”を見ないふりしていました。
AIの話題は耳にしていたけど、仕事にもプライベートにもほとんど取り入れたことがなく、正直どこかで「まあ関係ないだろう」と思っていたんです。

そんな私の目を覚まさせたのが、Hさんの一言でした。

「すみやさんには、絶対AIを使ってみてほしい」

──正直、そこまで仲がいいわけでもない人からの言葉に、なぜか妙に心が揺れて。
軽い気持ちで試してみたChatGPTで、私は完全にひっくり返されました。

「うわ、何これ……すごすぎる」

もはや、すごいなんてレベルじゃない。
“ヤバい”んです。
言語化が追いつかないほどに、可能性が詰まっていて。
4月、私は人生で初めて、こんなにも一つのテーマに没頭しました。


1ヶ月間のAI集中ダイブ

  • AI関連の本を10冊以上読破
  • スキマ時間はオーディブルで耳学問
  • Udemyで講座を3本受講
  • YouTubeでAI活用動画を網羅(湯川さんのインサイトも)
  • ChatGPT Proなど6つのツールに課金。合計10以上のサービスを体験
  • 「研究したい」と思い、大学院入学を検討し某教授とも面談
  • スライド作成、原稿執筆、ビジネスのアイデア出しにもAIをフル活用
  • 毎日1〜2人、AI実践者にインタビュー
  • ついには「AI活用セミナー」登壇も決定(経験ゼロからの飛び込み)

正直、仕事の手を抜いたわけではないけれど、今月は“AI漬け”といっても過言ではありませんでした。
好奇心と焦燥感の両方が、私を動かしていたのだと思います。


「AIのほうが、僕より優れてるのかもしれない」──その絶望と対峙する日々

使えば使うほど、見えてくるのは現実でした。
文章力、構成力、アイデアの幅、改善提案の精度──
「AIの方が、僕よりできるじゃないか」と、思ってしまった。

自分の存在意義が揺らぎ始めました。
今まで積み重ねてきた経験やスキルが、数秒で追い越されていく感覚。
恐怖、喪失感、そして“自分は何者なんだ”という問い。

夜中に目が覚めて、何度も考えました。
「人間って、これからどうやって生きていけばいいんだろう?」
「僕の価値って、どこにあるんだろう?」


「自給自足して静かに暮らそうか」とすら考えたとき

そんなとき出会ったのが、ハラリさんの『ネクサス』でした。
その内容が私に突きつけたのは、人類の未来の“分断”でした。
AIと生きる者と、生きられない者。
私はどちら側に行くのだろう?

「もう、どこかの山奥で、自給自足の生活でも始めて、静かに人間として死んでいこうかな……」
そんな極端な思考すらよぎったのです。


そして今朝──『カフネ』が教えてくれた希望

でも今朝、たまたま読んだ『カフネ』という本が、私の思考をまたガラリと変えました。

「世界は変わる。でも、どう生きるかは、自分で決めていい」

その一文に、心が震えました。
そして私はようやく思い出しました。

人はいつか死ぬ。でも、生き方は選べる。

だったら、私は、自分の選んだ生き方を全力で歩こう。
不安を抱えても、AIと共に進むことを選ぼう。
揺らぎながらでも、「人間らしく」生きていこう。
そう、強く思ったのです。


最後に──あなたは、どうAIと生きていきますか?

この文章を読んでくれたあなたにも、もしかしたら同じような不安や迷いがあるかもしれません。
でも、それでいいんだと思います。
恐れることは、感じること。
揺れることは、生きている証。

あなたは、どう選びますか?
あなたは、AIとどんな未来を描きますか?

その選択を、自分の手で握っていたい。
私はそう願っています。